



岡山県北部の美咲町(旧柵原町)百々地区で、昭和8年頃から制作されていた土人形。
創始者は百々の福田弘一氏。若い頃大阪に出ていた福田氏は、京都清水の伏見人形に魅せられ技術を習得。故郷に帰り自宅で人形作りを始め、「百々人形」と命名した。
親戚になる奈義町上町川の2代目彫刻師、山田照雲(正志)氏(初代は勝央町勝間田在住・現在は三代目の尚公氏)らの協力も受けながら人形作りを続け、昭和42年11月に72歳で亡くなっている。
後を引き継いだのが中西熊夫氏で、農業をしながら一男三女を育て人形作りを続け、平成元年4月に没している。
赤磐市下仁保(旧山陽町)に転居した妻の政子さんは、その後5年ほど人形作りを継承されていたが、平成27年6月に亡くなっている。
郷土の文化を知ってもらうために、町内の小学校などに絵付け体験の出前授業を行っています。
毎年、美咲町内の新生児に、元気に成長されることを願って縁起物の「百々人形」(どうどうにんぎょう)を進呈しています。